東貴博の父親はどんな人?伝説の芸人・東八郎との感動エピソード!





芸能界で活躍する東貴博さん。

そんな東貴博さんですが、父親はどのような人物だったのでしょうか?

東貴博さんの父親である東八郎さんについて、詳しく見ていきましょう。

目次

東貴博の父親・東八郎はどんな人?昭和を代表するコメディアンの素顔

出典:オリコンニュース

芸能界の第一線で活躍する東貴博さん。

そんな東貴博さんですが、父親の東八郎さんはどのような人物だったのでしょうか?

東貴博さんの父親は、昭和を代表するコメディアン東八郎(あずま はちろう)さんです。

八郎さんは浅草を拠点に活躍し、テレビで全国的人気を博しましたが、1988年に52歳の若さで亡くなられました。

東八郎さんの本名は飛田義一さんで、1936年5月31日に東京都台東区浅草で生まれました。

東八郎さんは中学校卒業後、浅草のフランス座でコメディアンの道を歩み始めました。

1964年には小島三児さん、原田健二さんとトリオ・スカイラインを結成し、テレビ進出を果たして人気を博しました。

トリオ解散後は単独で活動を続け、NHK『お笑いオンステージ』にレギュラー出演するなど、全国区のコメディアンとなりました。

東貴博さんの父親・東八郎さんは、浅草出身のコメディアンとして全国的な人気を博し、テレビ黎明期から活躍した昭和を代表する芸人だったことがわかります。

東貴博と父・東八郎の絆!感動の親子エピソード

出典:エンタックス

父親譲りの芸能の才能を持つ東貴博さん。

そんな東貴博さんですが、父親の東八郎さんとはどのような絆で結ばれていたのでしょうか?

東八郎さんは、自身が学業を続けられなかったことから息子の大学進学を強く望んでいました。

この思いを受け、貴博さんは大学付属高校へ進学しましたが、八郎さんの死後、家計の事情で進学を断念せざるを得ませんでした。

しかし、東貴博さんは2021年、51歳で社会人特別入試で駒澤大学に合格。

しかし、東貴博さんは2021年、51歳で社会人特別入試で駒澤大学に合格。

父の夢を叶える形となりました。

東八郎さんが他界した時、悲しみに暮れる東貴博さんを萩本欽一さんが弟子に迎え、「君のお父さんに教わったことを今度は僕が君に教える番だ」と声をかけたそうです。

東貴博さんは、父の年齢(52歳)を自分が超えた時に「妙な違和感」を覚えたと語っており、父の命日には「あれから37年 ずいぶん経ったね」「もっとちゃんと親子をしとけば良かったね」とブログで偲ぶなど、今も深い思いを抱き続けています。

東貴博さんと父・東八郎さんの絆は、大学進学の夢や芸能界での活躍を通じて、時を超えて深く結ばれているようです。

東貴博の父・東八郎の芸風とは?伝説のネタと俳優としての顔

出典:スポニチ

多才な芸能人として知られる東貴博さん。

そんな東貴博さんの父・東八郎さんは、どのような芸風で人々を魅了したのでしょうか?

東八郎さんの持ちネタ「頑張れ、強いぞ、僕らのなまか~」は、後に香取慎吾さん扮する孫悟空の口癖としても使用されました。

東八郎さんは、コメディアンとしてだけでなく、『志村けんのバカ殿様』では城代家老役を務めるなど、俳優としても多くのドラマや映画に出演しました。

歌手としても活動し、1981年に発売した「娘へのバラード」は、結婚披露宴の定番曲として広く知られています。

東八郎さんは、志村けんさんに「芸人が利口面をしたがるようになったらおしまいだよ」と語るなど、芸人としての信念を持った人物でした。

東貴博さんの父・東八郎さんの芸風は、コメディアンとしての持ちネタだけでなく、俳優や歌手としての活動も含む多彩なものだったことがわかります。

まとめ

東貴博さんの父親は、昭和を代表するコメディアン東八郎さんでした。

東八郎さんは浅草出身で、テレビ黎明期から全国的な人気を博した芸人でした。

東貴博さんと東八郎さんの親子の絆は、大学進学の夢や芸能界での活躍を通じて深く結ばれていました。

東八郎さんの芸風は、コメディアン、俳優、歌手と多彩で、その才能は東貴博さんにも受け継がれているようです。

この記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

また次回の記事もぜひご覧ください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA

目次