お笑いトリオ「ぱーてぃーちゃん」のツッコミ担当として活躍するすがちゃん最高No.1さん。
独特のキャラクターで人気のすがちゃん最高No.1さんですが、どんな生い立ちで、どんな苦労や努力のエピソードがあるのか気になりますよね。
今回は、すがちゃん最高No.1さんの生い立ちについて詳しく調べてみました!
すがちゃん最高No.1の生い立ち

お笑いトリオ「ぱーてぃーちゃん」のツッコミ担当として活躍するすがちゃん最高No.1さん。
そんなすがちゃん最高No.1さんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
すがちゃん最高No.1さんは東京・大田区で生まれました。
母親は、医者から「出産すると危ない」と言われていたにもかかわらず彼を産み、すがちゃん最高No.1さんが3歳の時にがんで他界しました。
幼かったすがちゃん最高No.1さんが母親の死を寂しく思わないようにと、実母のことは「おばちゃん」と呼ぶようにさせられていたといいます。
3歳という幼い頃に母親を亡くされたんですね。
母親の死後、父親の実家がある山形県山形市に移り、父親、祖父、祖母、伯母(父の姉)との5人暮らしが始まりました。
父親は非常に破天荒で豪快な性格で、「ビッグなビジネス」が口癖だったものの、実際の仕事は不明で、酒、ギャンブル、女性が好きでした。
小学校低学年頃からほとんど家に帰らなくなり、他に家庭を作ってそこに入り込もうとしたこともあったため、祖父に追い出されたといいます。
すがちゃん最高No.1さんが小学生の頃には、父親に連れられて女性をナンパすることもあり、自身を「ダシ」に使われていたと語っています。
複雑な家庭環境で育ったんですね。
すがちゃん最高No.1さんの生い立ちは、東京・大田区で生まれ、3歳で母親を亡くし、山形県山形市に移って破天荒な父親と暮らし、複雑な家庭環境の中で育ったようでした。
すがちゃん最高No.1の苦労のエピソード

お笑い芸人として活躍するすがちゃん最高No.1さん。
そんなすがちゃん最高No.1さんにはどんな苦労のエピソードがあるのでしょうか。
すがちゃん最高No.1さんを取り巻く家族環境は大きく変化します。
母親代わりだった伯母が、すがちゃん最高No.1さんが小学5年生の時に東京に移住しました。
伯母はすがちゃん最高No.1さんを連れて行こうとしましたが、当時のすがちゃん最高No.1さんは「カッコよくありたい」という思いからこの誘いを断りました。
伯母の移住後まもなく祖父が他界し、その後祖母が体調を崩して高齢者施設に入所したため、中学1年生の時に一人暮らしとなりました。
中学1年生で一人暮らしを始めることになったんですね。
生活費は東京に住む伯母からの月2~3万円の仕送りで賄いました。
家事は、友達の家に遊びに行った際に、そのお母さんが家事をしている様子を盗み見て独学で覚えました。
みそ汁の作り方も、友達の家で観察し、スーパーで「和風だし」を発見するなどして習得しました。
友達の家で家事を観察して独学で覚えるなんて、すごいですね。
一人暮らしであることは友人や周囲に秘密にしていました。
「母子家庭でもないのに母親がいない」などと思われ「普通」でないと思われることを極端に恐れ、「普通の明るい子」を演じていました。
学校の三者面談には「親が忙しい」と言って一人で出席し、進路相談で一度だけ来てもらった父親は教室でタバコを吸うなど問題行動を起こしました。
寂しさを感じることもありましたが、「月明かりに照らされた一人の俺はカッコいい」などと自己陶酔することで乗り切ろうとした面がありました。
漫画の影響もあり、孤独を「カッコいい」ものとして捉えるようになったといいます。
すがちゃん最高No.1さんの苦労のエピソードは、中学1年生から一人暮らしを始め、月2~3万円の仕送りで生活し、家事を独学で覚え、一人暮らしを周囲に秘密にしながら「普通の明るい子」を演じていたようでした。
すがちゃん最高No.1の努力のエピソード

お笑いトリオ「ぱーてぃーちゃん」として活躍するすがちゃん最高No.1さん。
そんなすがちゃん最高No.1さんにはどんな努力のエピソードがあるのでしょうか。
約3年前、父親が血液がんで入院し、「長くても1ヶ月」と宣告されました。
病床でも看護師にナンパするなど豪快な姿勢は変わりませんでした。
最期まで破天荒な父親だったんですね。
最期の頃、父親はすがちゃん最高No.1さんに「自分がカッコいいと思ったことだけ、信じてやってきた。だからおまえもナンバーワンっていう、その名前にふさわしいカッコいい生き方をしろ」と伝えました。
この言葉は、すがちゃん最高No.1さんの芸名「最高No.1」にも通じるものでした。
父親からの最後の言葉が芸名に通じるものだったんですね。
父親はその翌日に亡くなりました。
すがちゃん最高No.1さんは、父親について「良い父親だったとは到底、言えませんが、『すがちゃんさいこうナンバーワン』って、俺にとってはずっとおやじのことです」と語っています。
現在、孤独を感じている子どもたちへ、すがちゃん最高No.1さんは次のようなメッセージを送っています。
「どうにもつらかったら誰かを頼った方がいいと思います。その上で、今のつらさや悲しみは、未来の自分の影をつくってくれます。いつか誰かと、笑い話や思い出話として分かち合える日が来ることを楽しみにしながら、できるなら孤独に酔いしれてみてください。影がある人は、色気があって、カッコいい。カッコいい人の周りには人が集まってくるから、孤独じゃなくなる。そのための準備期間と思ってほしいです」と語っています。
すがちゃん最高No.1さんの努力のエピソードは、父親からの最後の言葉「カッコいい生き方をしろ」を胸に、孤独を乗り越え、現在は孤独を抱える子どもたちへメッセージを送るまでに成長したようでした。
まとめ
今回は、すがちゃん最高No.1さんの生い立ちについて調べてみました。
すがちゃん最高No.1さんの生い立ちは、東京・大田区で生まれ、3歳で母親を亡くし、山形県山形市に移って破天荒な父親と暮らし、複雑な家庭環境の中で育ちました。
すがちゃん最高No.1さんの苦労のエピソードは、中学1年生から一人暮らしを始め、月2~3万円の仕送りで生活し、家事を独学で覚え、一人暮らしを周囲に秘密にしながら「普通の明るい子」を演じていました。
すがちゃん最高No.1さんの努力のエピソードは、父親からの最後の言葉「カッコいい生き方をしろ」を胸に、孤独を乗り越え、現在は孤独を抱える子どもたちへメッセージを送るまでに成長しました。
幼少期に母親を亡くし、複雑な家庭環境の中で育ち、中学生から自立を余儀なくされながらも、孤独を乗り越えて成長したすがちゃん最高No.1さん、素敵ですね!
今後もすがちゃん最高No.1さんのご活躍を応援していきたいですね。
この記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
また次回の記事もぜひご覧ください。

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